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桂林だより
バヌアツ通信

桂林だより


【No.11】 2008年3月 発行。

【作者より一言】
 2月7日、中国も新年を迎えました。皆さま、(2度目の)新年明けましておめでとうございます。年末、中国南部を襲った大寒波。桂林も気温がマイナスまで下がり、計画停電が2週間ほど続いたらしい。(幸い?ベイは東北地方旅行中。)年越しの6日には安定した電気が戻ったらしく、中国のこの日にかける思いって…一体?
 

【 旧満州へ 〜カツオ少年(16)の足跡〜】

 【カツオ少年の足跡】
 満豪開拓青少年義勇軍 カツオ16歳

●昭和18年 3月 
 実家のある町をを出発。茨城にある訓練所で農耕作業や軍事訓練を受けながら半年過ごす。

●同年9月 
 新潟港から朝鮮半島・羅津に上陸し
 そのまま列車に乗り吉林省へ。雪のため農耕は出来ず、食用の豚を飼育する。

●昭和19年  正月 餅つきをして過ごす。
 春  奉天の軍需工場へ移動。
 日本人は街中を威張るように歩いていた。真似て威張って歩いた。
 12月 B29の攻撃で友人数名が死亡。

●昭和20年
 ?月 工場を移動。物資がなく竹槍のようなものを作っていた。
 8月 突然工場にソ連軍が入ってきて捕虜になる。2週間後に解放される。日本人であることを隠しながら、日本に帰るべく駅へ向かう。
 ? 引き揚げ船寄港の収容所は地獄絵図のようだった。引き揚げ船に乗り日本へ戻る。(昭和21年の引き揚げらしい)

 この冬、ベイは中国・東北地方を旅することに決めていた。カツオ少年の足跡を探すために…。  カツオ少年、それは10年前に他界したベイの祖父である。祖父が戦時中、中国にいたことは幼い頃に聞いた覚えがあった。ベイが小学2年のとき、祖父は寝たきりの状態となった。もともと戦争に関しては多くを語らない人であったらしいが、それ以降、中国の話を聞く機会はなかった。今回、祖父がいたらしいという吉林省を旅しようと決め、祖母に何か情報はないかとたずねた。そして、当時、祖父と同行したという人を祖母と母が探し出し、その方の回想記を手に入れたのだ。確かに、その回想記の中には祖父の名前があった。まずは、カツオ少年が朝鮮半島に上陸し、乗せられた列車が中国大陸に入る北朝鮮との国境『図們』から旅を始めた。外はー20℃以下、ベイが乗った列車の窓枠も写真のように凍っていた。窓の外の風景はどこか雪どけ近い地元に似ていて、カツオ少年もこれを眺めたのか…と思いながら旅は始まった。
  列車を降りたのはカツオ少年が中国での初の生活をした『大石頭』という町。現在は林業の町のようだった。確かな足跡は見つからなかったが、広い土地に3棟の平屋、周りを塀と鉄線に囲まれた今は使っていないようなそんな建物を見つけた。本当は何も関係がないかもしれないけれど…写真におさめた。  
 続いて『奉天』。ここは満州国の中心地であったところ。今は『瀋陽』という名前であるが、奉天という名前もさまざまな所に残っていた。近代的な高層ビルが立ち並び、オリンピックの種目会場ともなるところだ。そんな中に、取り残されたような建物を見つけては…写真を撮った。もちろん、周囲の人からは奇異の目で見られていた。。。最後は『葫芦島』にある引き揚げ船が出たという港へ。当時の桟橋が朽ちてはいるが残っているとの情報があり、そこまで行きたかったのだが、、、暗くなり見つけることは出来なかった。

 祖父の写真をお腹のポケットに入れてめぐったこの旅。確かなものは何も見つけられなかったが、カツオ少年が足をつけたであろう地には足をつけた。一人旅ではあったが独りではなく、でも、、、独り言の多い旅で、それは祖父と話をしていたからであって。。。そんな旅であったが、祖父は満足してくれたのだろうか?時々、お腹のあたりがカッと熱くなるのを感じたのは気のせいだけだろうか。

【越えられない国境・・・その2 〜中国・北朝鮮国境で〜】

 中国東北地方の旅の途中、何度か北朝鮮に近づいた。1度目は旅の始まりの『図們』だったが、ここでは時間の都合からベイは先を急いだ。立ち寄った同期隊員が言うには、双眼鏡を覗くと川沿いで薪割りをしている人などが見え、生活感あふれる光景だったらしい。(ウワサによれば、この人たちは中国側から見られることを意識して国家から雇われている人だとか…)川が凍っていたためその川に足をかけようとしたところ、向こう岸の草むらの中から人が現れ大声で叫ばれたらしい。やはり国境なのだ。。。

 2度目は吉林省の南『集安』。ここでは中国の国境警備隊に付き添われて北朝鮮につながる線路を歩いた。写真右は線路上の国境線。左上が北朝鮮で右下が中国。線路は続いているものの、枕木や金属の質に明らかな違いがあるように見えた。そして、ここからは肉眼で人々が見えた。当たり前だが…大人も子供も普通であった。(これも雇われている人なのだろうか??)

【異文化 〜正月の爆竹と花火〜】
 
今年の陰暦の元日は2月7日。つまり中国の正月だ。旅帰りのベイはこの新年を北京で迎えた。  中国の年越しと言えば爆竹と花火。爆竹は全長5m以上のものもあり、これをビルとビルの間でやるものだからさらに爆音になる。花火は素人が上げてもいいのか?と思うほど巨大な打ち上げ花火だ。写真の花火ももちろん一般市民が上げている。爆竹も花火もそれぞれが好き好きに点火するため、360度からけたたましい音と眩しいほどの光…戦場か?と思うほどであった。  この音と光に何かスッキリするような日本では味わえない感覚があるな…とも思った。が、この翌日から病院はケガ人が殺到するらしい。ベイも昨年爆竹に点火した経験があるが、決して安全とは言えるものではなかった。爆竹・花火製品自体の不良による事故や各々が自分勝手に点火するために思いもよらないところから爆竹の破片が飛んで来ての事故などなど。そして、驚いたことに、、、歩き始めたばかりのような子供に花火や火薬球(地面にたたきつけて破裂させる)を持たせていたり。。。加えて、その子を子守しているのは小学低学年ほどの子供。平気で他人の足元へと投げつけてくる。それはこちらが注意すればよいとしても、「何が宝物の子供じゃ!!!」と叫びたくなるほど、その子どもたちの遊び方は危険であり、見ているほうが恐ろしかった。。。これも異文化と言われればそうなのだが、そうなのだろうか???  

 

【ベイの活動報告書】

 1月から開始した看護師らのリハ業務。ベイのちょっとした賭けだったのだが…うまく芽を出し始めたかもしれない。ある日、これまで主体でやって来た1人の看護師が他の看護師に教えているではないか!!うれしかった。うれしくてうれしくて興奮していた。そんなベイを見て、彼女らは笑っていたけれど。本当は赴任半年くらいの時点にこの状況を描いていた。それが1年半経った今、ようやく辿り着いた。でもいいのだ、辿り着いたのだから。さて、次のステップだ♪      





 鳥インフルエンザの情報は日本でも報道されているのでしょうか?現在、長江以南で鳥インフルエンザによる死亡者が増えており、警戒をしなければならない状況なのです。そして先日、事務所から『緊急時に供え2週間分の水と食料、日本へ退避できるだけのお金を用意するように』との指示が出たのであります。そ、そんなぁ〜。。。ケニアやジンバブエなどアフリカ地域では情勢の悪化により強制退避させられている隊員がいるとのメールも。。。 任期終了まで4ヶ月となった。そんな今、自分の意思だけではどうにもならない事情での帰国、、、それだけは避けたいと思うのです。(ベイ)

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