HELP MAIL
■NEW!
 現役隊員の声
■OBの声
■研修員の声
 <準備中>
■出前講座を体験して  <準備中>
桂林だより
バヌアツ通信

桂林だより


【No.14】 2008年6月 発行。

【作者より一言】
 2008年6月、この日が来るなんて思えなかった、、、今に至っても本当に帰国できるのか?という気持ちさえする。活動らしい活動が出来るようになった最後の2ヶ月、今もまだまだ走っている。ゴールはどこに??ベイを見るたびに「帰るなよ」というスタッフ。元来、泣き虫のベイ、涙があふれ出そうになる。。
 

【災害その2】57年ぶりの大洪災・・・危険水位!!
   雨続きの毎日、湿気で我が家の壁は剥がれ落ちている。。。先月のプチ洪水に続いて、今月は大規模な洪水が起こった。6月13日朝、連日の雨に加えて、前日の夜は爆雨。家を出る前に容易に道路の様子が想像できた。家を出てすぐの川はすでに危険水位、平常より2メートル以上水面が上がっていることになる。。。さて、分院まで徒歩30分の道、ちょっとゲーム感覚で歩き出した。

  歩き出して3分もしないうちに大きな水溜りを発見、手前の道を曲がり、いつも通る道と平行して歩く。やはり前回の水溜り現場にはそれを上回る水が見えた。どうやらその道に入ることは出来そうになく、大通りへ出ることにした。が、これまた予想通り、線路が立体交差している道はプール状態。それなのに、無謀にも強行突破しようと進入する車が…もちろん、エンジンに水が入るのだろう、途中で停止だ。。そんな車がプールにいくつも。。一体全体。。。幸いにも側道には水がなく、越えることができた。よし!今回は時間がちょっとかかったけど、無事に病院まで辿り着きそうだ♪と思ったときだった。看護師から電話が、、「ベイ、今どこだ?病院の前がひどいことになっている。まるで海みたいだ。

   今日は来なくていいぞ!早く帰って休みなさい。」(って…もうすぐそこなんですけど。。)そこで、とりあえずはその海を見に行くことにした。ご覧あれ!この海を…(笑)予想以上の状態であった。家に戻る道、せっかくだから前回の水溜り現場を見に行くことにした。ヒドイ…。眺めること数分。ベイもこの渡し自転車に乗ってみたくなって、おじさんに乗せてもらった。向こう岸まで2元(30円)、ベイはすっかりアトラクション気分だった。

  この翌日、川の下流にある観光地『陽朔』に出かけた。毎日外国人でにぎわうこの街、、、店のほとんどが床上1メートルほど浸水したようで、路上には水没した菓子箱やポストカードが散乱し、人々は店内のものをすべて路上に出し、店を洗い流していた。いつもの活気がないこの街は、なんだか淋しかった。。そして、ベイお気に入りの『興坪』へ。ここも街全体が浸水したらしく、家具などまでも洗い流していた。

  もうそろそろ、災害はおしまいにしましょう…ね…。頑張れ!中国!!


 〜6月6日 桂林にオリンピック聖火がやって来た〜

 

 この日朝7時、同期隊員と待ち合わせをして、聖火リレーのコースへと向かった。。。が、人、人、人、、、到底日本人のベイたちには太刀打ちできそうにもなく、、、帰宅してテレビで見たのさ♪笑 中国国内でのリレーは『頑張れ中国!負けるな地震に!』が合言葉になっている。

 ベイ、日本上陸まであとわずか!!

 
 こんな気持ちになるなんて思ってもいなかった。大嫌いだった中国、何度も泣いた、何度も怒った、何度もため息をついた。そんな生活にも終わりが来る。終わりが。。

 最後のこの2ヶ月、分院だけの活動に絞り、ようやく活動らしい活動が出来るようになった。本院の整形外科から他科診察の依頼が来て主任と一緒に診に行った。大した用もないのに、リハビリ室に医者たちが顔を出すようになった。今さら…と思った。しかし、1年10ヶ月かけてようやくこの状況に達することが出来た、よくやった、これでいいじゃない…とも思えた。

 2年間を振り返れば、99%が辛い時間だった。テレビドラマの影響で人々が知っている日本語は『バカヤロウ』、私が日本人だと分かるとすかさず「バカヤロウ」と言いニヤニヤしながらこちらの様子を伺う中国人、大嫌いだった。誰にも相手にされず、本人のリハビリ室で凍えそうになりながら過ごした1年目の冬、最低だと思った。活動したくても話しさえ聞いてくれない状況、「言葉が話せないからな…」って聞く耳さえ持たない病院幹部、失望した。中国で受ける手術、きちんとコミュニケーションがとれないままかけられた麻酔、目覚めたあの時、中国医療に憤りを感じた。『すべては患者のために』なんて掲げているけれど、優先するのは自分と地位とお金、私がして来たことは間違いなのか?とさえ思いもした。

 そんな生活が嫌になると私は旅に出た。旅先では中国人の新たな一面を見ることが出来た。そして、列車の中での何気ない会話や食堂での会話、そんな中でたくさんの中国人に接した。その人たちがいつか「いつだったかな、『日本鬼子』ではない日本人と話をしたっけな。あの日本人は下手くそだったけど中国語を話してたな。笑ってたな。」そう思ってくれれば幸いだ。もちろん、旅先でも嫌な思いをすることもあった。しかし、そのとき思うのは地元桂林の人たちであり、遠くにいて桂林を恋しく思いもした。また、辛い時期を支えてくれていたのも中国人であるのは確かだ。

   この2年間の最大の宝物は2人の看護師であり、本院の看護師・梅ちゃんは私がここで生活するすべてを支えてくれた。彼女の作るごはんはおいしかった。病院の人たちと食事をするより、彼女の彼の会社の人たちとお酒を飲んだほうが多かった。そして、いろんなところに遊びに連れて行ってもらった。私の家族が桂林に来たときも、一番喜んでくれたのも彼女だった。彼女がいなかったら、私は2年間ここにいられなかったと思う。もう1人は分院の看護師・春ちゃん。春ちゃんはリハビリ業務で頑張ってくれた。彼女が本格的にリハビリ業務をするようになったのは5月になってから。この2ヶ月間、彼女と私は必死だった。彼女が頑張るから、私も頑張ったし、私が頑張ると、彼女も答えようとしてくれた。半年前、リハビリに関して何も知らない彼女が患者さんに触れるようになり、初めは怖々だった顔も手つきも今では自信が持てて来たよう。知識や技術としてはまだまだ不足しているが、本当に頼もしい。私の2年間この1%の楽しい時間は彼女がくれたものだ。そして、この1%は99%の辛い時間を帳消しにしてくれるほど大きな力を持っているようだ。

 帰国が近づいている。春ちゃんに渡しておきたい資料作りなど、1日が24時間では足りないと本気で思う毎日。そして、目をこすりながら病院へ。春ちゃんがリハビリをしているそばでぼーっとしているとき、ナースステーションで看護師たちの仕事を眺めるとき、梅ちゃんからうるさいくらい大きな声で「ベイ、ごはん食べにおいで」と電話が来るとき、ああ、この人たちをどうやって別れよう…そう思うと涙が出そうになる。日は着実に迫っている。残りの数日、たくさんの人たちへの感謝を胸に、、、でも、まだまだ突っ走ります!!!






 桂林での生活もあと3日となったが、ベイの部屋はいつもと変わっていない。なぜなら…夜な夜な資料作りをしていて帰国の荷造りをする時間がないのだ。同期隊員らはすっかり荷造りも済んで、友人らとの別れを惜しんでいるのだとか。。。ああ、ベイは本当に帰れるのか?(笑)

   『桂林中医病院からこんにちは!』を発行して1年半、14号になりました。たくさんの方に応援していただき、ここまで来ることが出来ました。ありがとうございました。日本帰国後は、少し休憩してから臨床へ戻りたいと考えています。この2年間で知った自分の弱さを忘れずに、今後の人生の歩き方に活かして行きたいと思います。

   2年間、本当にありがとうございました。(ベイ) (ベイ)

【No.13】へ

[PR]田丸麻紀さん愛用ダイエット:大人気サプリメント!注文殺到中です